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現代における祈り

 遊学館で、市川 裕(いちかわひろし 東京大学大学院 教授)の「現代における祈り」と言う講演を聴きましたので報告します。

 祈りとは、自分の弱さを自覚している人の叫びである。中世から近代に入り、祈りの対象としての「天」が一貫して切り離されてきた。その理由としては、科学技術の進歩があり、個人の自由が求められてきたことにある。その間、「天」の代わりに国家が祈りの対象になったりして、人間は知らず知らずに「天」を忘れて傲慢になってきている。一方では、個人は深い無力感を感じており、この現代には祈りが求められている。

 その昔、地域の伝統文化として、女たちは御詠歌を唱え、男たちは「講」と言う社交の場で念仏を唱えきた。地域の人間関係が変わってしまい、相互に異なる人達が同時に救われる道として、「祈り」がある。そうした個人のニーズに対し、オウム真理教を始めとする新興宗教は、既存の宗教への不満に根ざしたものと考えられる。

 現代では、「祈り」に代わるものとして、言葉掛け(挨拶)や、食事の感謝(生命を頂くことへの感謝の意味を込めて「いただきます」と発声)や、祭り(共同体communityとしての飲み・食い)がある。

 キャリアネットワークの活動は、キャリアカウンセリングにおいて悩みを持った人々の話を聴いて、キャリアネットワーク勉強会と称して「講」を行っていると言えなくもない。まさに、現代版の宗教的活動を行っているのかと感じられます。

2007.06.20

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