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経済は世界史から学べ

 「経済は世界史から学べ」(茂木誠 著)を読んだので報告する。

第1章 お金(円・ドル・ユーロ)の成り立ち
 お金を支えるのは発行者の信用。発行者の信用という意味で政府の方が良いが、国が管理すると大量の紙幣を発行してたくさんの国が滅んだ。国の借金ともいえる国債を引き受けることが、中央銀行設立の動機。
 通貨発行券を巡る政府と金融資本との綱引きは、ケネディ暗殺によって争いは終結した。徳川綱吉の勘定奉行を務めた荻原重英は、貨幣価値が金銀の含有量で決まることから 政府が通貨価値を決定できる信用通貨へ転換をした。
 明治時代、松方正義はインフレ克服のために中央銀行である日本銀行を設立した。日本が戦争を続けられたのは国が通貨発行権を握っていたから。
 ECでは、金利の決定や為替介入などの金融政策はECBが決定する。各国の中央銀行は通貨発行権も金利決定権も失った。ギリシャ危機で大儲けした国がドイツ。

第2章 お金 世界経済と国際通貨
 国際通貨は、基軸通貨としてスペインからイギリスポンド、アメリカドルに変わった。明治日本が独立を維持できたのは金本位制に移行できたから。
 ドルが強くなったのは世界大戦のおかげ。敗戦国日本が経済成長できた理由は、1ドル360円の固定レートにしたブレトンウッズ体制により、貿易ルールを制定したから。
 国際通貨基金IMFの役割は、国際収支、貿易、投資、外貨準備のプラスマイナスが極端に悪化した国へ、米ドルの緊急融資を行うこと。
 世界銀行IBRDの役割は、戦災復興と発展途上国支援。
 円高・円安はアメリカのルール違反から生まれ、固定相場制から変動相場制へ移行した。プラザ合意による円高が日本のバブルを起こした。
 アジア通貨危機の犯人はヘッジファンド。ドルペック制は崩壊し、アジア諸国の通貨は暴落する。その前に儲けようとするヘッジファンドが起こした。円の大暴落の危機に日銀は、30兆円を使い円を守り抜いた。
 ギリシャ ポルトガル イタリア アイルランド スペイン これらの国が、EU・ユーロを危機に落とし入れる。

第3章 貿易
 国家は外国製の安い商品の流入を阻止して国内産業を守ろうとする。重商主義(保護主義の典型)ナポレオン戦争の結果は、保護主義に対する自由主義の勝利だった。グローバリズムは常に経済的強者に恩恵をもたらす。イギリスの自由主義に対し、ドイツは保護主義を取る。
 南北戦争はワシントンの連邦政府・中央政府が一括して関税をコントロールすべきだと主張した。北部の勝利によってアメリカは保護貿易に転じ奴隷制を廃止した。
 発展途上国が先進工業国に転換する過程において、保護主義の採用が効果的である。植民地を利用して独占市場として囲い込み、生産拠点・工場も植民地に移して生産コストを抑える。帝国主義と呼ばれる保護主義を取った。連邦内の低関税と域外商品に対する 200%の高関税を決定するブロック経済を採用した。日本・ドイツ・イタリアの枢軸国を第二次世界大戦に駆り立てたのはブロック経済という名の極端な保護主義だった。
 先進工業国は例外なしの自由貿易を望む。一方、途上国は国内産業を守るため例外規定を設けようとする。WTOは加盟国が多すぎて話がまとまらないということで、2国間や 多国間で個別の自由貿易協定が結ばれた。FTA(自由貿易協定)、EPA(経済連携協定)
小泉内閣は日本の市場開放の徹底を行った。大店法の改正とトイザらスの出店など。構造改革によって変わったことは、建築基準法の改正、司法制度改革、裁判員制度、労働者派遣法の改正、人材派遣業の規制緩和、郵便事業は外資の参入を妨げる非関税障壁として民営化された。次にアメリカが狙うのは日本の国民皆保険制度と外資系の保険会社の参入。

第4章 金融
 金融とは 貸し手が借り手に資金を融通すること。金融業者として活躍した民族は強大な移民族の支配を受けた共通点がある。例えば、ユダヤ人、フェニキア人、ソグド人、アルメニア人である。いつでも逃げられるように、金融資産、貴金属を蓄えるようになった。預金通帳やキャッシュカードは宗教騎士団が作った。
 金融帝国の立役者ロスチャイルド家はフランス軍敗北の情報をいち早く入手、そしてフランス軍勝利の偽情報を流してイギリス国債を暴落させてから買い占め、欧州最大の金融資本として不動の地位を確立した。
 世界初の株式会社はオランダで生まれ、株主には株券を発行し利益が上がれば配当金を分配する代わりに、リスクも出資金額の分だけ株主に負担してもらうという有限責任のシステムである。
 政府が保険料を徴収する公的年金や健康保険制度を確立したのは、ドイツ帝国を樹立した鉄血宰相ビスマルクである。
 投資とは、将来価値が上がると予想される商品を買っておくことを指す。物を所有し時間差で利益を得ようとする行為である。
 先物取引。正確にはオプション取引とはある商品を将来のある時点に特定の価格で売買することを現時点で約束する取引を指す。世界初のバブルはチューリップの球根から。公的な監査制度と公認会計士制度が生まれたのは南海バブル事件の副産物である。
 日本は石油危機から真っ先に立ち直り、西ドイツと共に世界経済の牽引役になっていた。対してアメリカは 対米輸出を減らして内需を拡大した。日銀は金融を引き締め、20年続くデフレ不況になった。
 返済能力に問題がある低所得サブプライム層にまで住宅ローンを貸し付けた、これがサブプライムローンである。世界4位のリーマンブラザーズの倒産は世界金融危機の始まりだった。

第5章 財政
 官僚機構の肥大化と軍事費の拡大→増税と民業圧迫→景気後退と貧困層の増大→農民 暴動と軍の離反→王朝 崩壊。徴税権は権力そのもの。
 経済学の起源とは、大航海時代、金の枯渇によりスペイン経済は没落していく惨状を見たイギリス・フランスは、産業の育成と輸出による国富増大を考え、経済学という学問が生まれた。
 イギリスのピューリタン革命と名誉革命により議会政治が確立する。課税反対運動が独立戦争につながる。
 田沼意次は重商主義による財政再建を考えた。松平定信の寛政の改革は緊縮財政である。山田方谷は、旧藩札を額面価格で正貨と交換し回収した。それを焼却し、新たな藩札を発行した。
 廃藩置県は、中央政府が藩の債務を全て肩代わりすることで成功した。松方正義は、新円の信用を保証するために国際通貨の銀との交換を日本政府が保証する銀本位制を採用した。
 高橋是清は、金本位制を離脱、日銀による紙幣増刷、大規模な公共事業によってデフレ対策した。

 第1次対戦後のハイパーインフレと世界恐慌下のデフレを新通貨レンテンマルクの発行により収束したシャハト。
 世界恐慌はデフレ(通貨不足)、財政出動(公共投資)と金融政策(紙幣増刷)で通貨を供給すれば良い。
 フリードマン教授の新自由主義は、公共事業は税金の無駄、産業保護は民間活力を削ぐ、政府は貨幣量の調整だけ行えというもの。バブル崩壊後の日本で、橋本や小泉が公共事業削減などの新自由主義を採用したことはデフレを長期化させた。
 第2次安倍政権は、金融緩和と財政出動 を同時に行うケインズ主義的な経済政策アベノミクスを打ち出した。日本国民の個人金融資産(現金・預金・株式・債券)は約1500兆円、日本国民の資産を日本政府の資産に移すためには、国債の発行と増税がある。日銀の金融緩和(円の増刷)と国土強靭化(大規模公共投資)は、政府の資金を民間に移すデフレ対策である。消費増税は民間の資金を政府に移すインフレ対策である。

2024.09.17:[カウンセラー広場]

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